作品経緯

今から40数年前(20代前半の頃ですが)、写真(モノクロ)を使って制作をしていましたが、1974年東京で開催された「東京ビエンナーレ展」でアメリカフォトリアリスト達による“スーパーリアリズム”なる作品に接し、衝撃を受け、しばらくの期間、制作をすることができませんでした。

制作できない状態の中で考えたことは、自分の考え方や表現したいことは変えられないが、今までの表現とはいかに違った方法で表現することができないかということでした。模索を続ける中で、自分の考え方や表現したいことを、合板を使用するという表現で作品を制作しました。

しかし、この合板を使用した作品シリーズは、制作過程である程度仕上がりが予測でき、結果に(完成に)向かって作業しているのみという、制作の過程で生まれる時々の「感動」のようなものがなく、何か物足りなさを感じながら制作をしていました。

そのような物足りなさを感じながら制作を続ける中で、いつしか結果の予測できる制作過程から、結果の見えない方向に向かっていくようになりました。そしてその時に、自分なりの「ある約束ごと」(例えば雁皮紙を正六角形にカットして接しないように貼り、それをもとに立方体をイメージさせる線を描いていく等)を決め、それに沿っての制作を開始しました。自分で決めた約束ごとを基軸に作業をリピートしていく…。この制作過程を経ることで、自分で予測することができない作品が誕生しました。それが和紙を使った作品でした。このシリーズは時間を要しましたが、予測できない結果から生まれる作品は自分なりに十分納得できる作品となりました。

※「第1回東京リキテックスビエンナーレ展 東京賞受賞」もこのシリーズ作品です(最初にして最後の公募出品)。

このリピート作業から生まれる作品は、シュールリアリズムの自動筆記法とは若干異なるかとは思いますが、考え方としては両極にものを視る部分もあり、それを推し進める中でさらに新たな表現方法が生まれました。その作品が「こより」を使用した作品であり、「針金(ステンレス、銅、真鍮など)」を使用した作品です。「こより」を使った作品は、以前に和紙(雁皮紙)を使用したこともあり、和紙という材質は体質的にも自分に合う部分があり、こよりをモチーフにした作品を数多く制作しました。

「こより」や「針金」を使った作品の制作を続けていたのですが、いつしか以前の合板を使った作品に近づいていき(仕上がりが予測でき完成に向かって作業を進めているという)、制作を進めながらも満足できない状況になってきました。模索する中で、結果、合板を使用した後の作品(和紙を使用した作品)に戻る形となりました。

ただ単に以前の作風に戻るのではなく、新たに取り組む作品には変わらない自分の考え方や今までやってきた制作方法などを加味し、それを変化させ、また以前とは違った「約束ごと」(面積を2分割、あるいは4分割し、円をどこか一点で接するように描く等)を課しました。そして制作を続け現在に至っています。

アクリル使用について

 美術大学絵画科に入学直後、今までの油彩・デッサンなどを否定されたように感じ、試行錯誤している中で、モノクロフィルムを重ねて焼くとどうなるのかと思い試した所、とても面白い結果が出ました。それをもとに、青墨を使用して制作を始め、その延長線上でアクリル絵の具と出会いました。墨同様に水を使うことが体質的に非常に合ったこともあり、それ以降、アクリル絵の具を使用し、現在に至っています。